てらぴぁぽけっとで、全ての基軸となり源泉となっている療育の手法。ABAとは応用行動分析(Applied Behavior Analysis)のことです。
アメリカの心理学者スキナーによって発展してきた心理学の分野です。「行動」に焦点を当てて、お子様にとって必要なことをひとつづ確実に獲得できるよう、科学的なアプローチを行っていきます。
行動に焦点を当てることで、セラピストと共にご家族、保育園や幼稚園の先生などがひとつのチームとなって一貫した対応ができるようになることも特徴です。
ABA は、“障害”と呼ばれるものを分析の単位とするのではなく、一人ひとりの“行動”を分析の単位にします。お子様の行動を感情で判断せず、あくまでも見える行動で判断していくから、客観性のある的確な判断に繋がります。
てらぴぁぽけっとの「てらぽけ指導員」は、すべてこのABAの原理を理解し実践できるようになっております。
ABA(応用行動分析)の考え方に基づいて、将来的に目指す行動に対し、今できることからプログラムを作成していきます。
発語を促すこと、ご家庭で対応に困っていること、お友達と楽しく遊ぶこと、集団の中での指示理解、など様々な目標に対して基本のプログラムから、お子様に合わせてプログラムの種類や内容、段階を設定し実施していきます。お子様が無理せず、楽しくセラピーすることができるよう、「強化子」と呼ばれるお子様に合わせたご褒美を用いながらできることを増やしていきます。
今お子様が抱えている課題を具体的な行動の中で表層的に考え、捉え、その行動に随伴する機能を分析し、予測を立てながら条件を変更して行動をコントロールできるようなお関わりを行います。
そうして教育から逃げてくる人たちを、まずは福祉が受け止めました。もちろん教育の中でもカウンセリング等の療育的・セラピー的要素を通過する人もいますが、少数であり且つ「通過する」というだけあって、セラピーが無責任にも方向を指図して処方箋を出してあとは養育や福祉に投げるというのが実情なのではないでしょうか。
「あとは保護者様とのスキンシップです」などという無責任さに保護者様が絶望し、とりあえず受け止めてくれるのが福祉の大きなハンモックだったわけです。
福祉や保育はこうして大きくなり、さらに社会情勢の変化家族構成の変化(縮小化)によって、さらに追い風を受けて人数も予算もどんどん大きくなりました。そして、「てらぴぁぽけっと」も制度的にはこの福祉の仲間になります。
しかし、ここまで来て、一つ大事なことを忘れていました。「お子様の気持ち」「言語表出のないお子様の反応」「お子様が抱えている生きづらさそのものの原因」が無視されているということです。
社会的に養護が必要なのが「未成年」ですし、保護が必要だから「保護者」が必要なわけで、だから社会的な制度や要求保護者の都合で左右される部分があることを否定しません。それは仕方がないことだと思います。
しかし、なぜ療育やセラピーが必要であるかを鑑みた時に、最も必要なことは「お子様が困っていることを直す」という極めてシンプルなことであり、その視点であり、その視点にセラピストをはじめ廻りの大人たちが行動を合わせるという事だと考えております。それはとても困難です。だって、お子様はここが痛い、ここがわからない、ここに悩んでいるといえないのだから。
教育はそのお子様に対して、基礎に戻ってやり直しなさいといい、場合によっては補習してあげますよという。福祉や保育は、そのお子様に対して、なんてかわいそうに、痛そうだから撫でてあげます、寄り添いましょう、他にも楽しいことがあるから出来る事をしようという。どちらも、根本的な答えになっていないのです。
お子様が今「痛い」という感情を表出したいのに、万人に通じる「痛い」という言語を用いることができない、それは大人たちがさんざん「痛いの?お痛なの?」とやんややんや僕の目の前で言っていたけど、何言っているのかさっぱりわからないし、おそらくそれが近しいものなんだろうと思って叫ぼうと思いますが、叫んだところでなんだかみんな困った顔をするんだよ、よくわからないな、、、という事に応えていかなければならないのです。
かつて、あるいは今現在もそうかもしれませんが、自閉症や障害は保護者の愛着不足という誤った概念があります。そこは現在では否定されているものの、お母様のお気持ちの中では、決して拭い去ることができない、どこかに引っかかっている概念で、だから多くのお母さまが自責の念に駆られています。
教育に言ったら怒られるし、福祉に行ったら自分たちの営業時間や、過度に迷惑をかけない限りは預かってくれる。最後の砦だった福祉も、ちょっと利用者様がぐずったり、変な反応を起こすと、「問題行動」という表現をされておっぽり出されます。セラピーという立ち位置は、そんな中で細々と運営され、少数の利用者様に支持され、行政が行う施設の中で、公平性を保つために多くの人に少ない回数で提供されてきました。
色々な考え方がありますが、基本的にセラピーはお子様の痛み、悩みに通じない回路に直接触れようとしている運動であることは間違いありません。
教育は、痛み・悩みを低い点数から判断し、他の高い点数の子と同じことをゆっくりやる補習か、レベルを下げて行うクラス分けをして対応しました。
福祉や保育は、痛み・悩みをかわいそうなものと見立てて、痛みや悩みに同情したり、すり替えたり、表層を撫でていく対応をしました。痛み・悩みに直接触れなければならないのに、それを巧みに回避してきたのです。教育は傲慢で福祉は怠惰でした。
しかし、セラピー自身にも問題がないわけではありません。それは自らが閉鎖的であったという事に尽きます。
制度化される福祉に寄っていくこともなく、自らを大きく表現しようともせず、医療や教育、社会福祉法人や行政機関の一部としてひっそりとたたずむか流派にわかれて細々と自由な活動をしていたにすぎません。それに「専門性」というベールをかぶって安心して、あとは保護者任せ。これではセラピーの為のセラピーでしかありません。
てらぴぁぽけっと、とはterapia (=イタリア語でセラピーのこと)がたくさんあるpocket(=英語でポケット)です。たくさんのセラピーをポケットに詰めて、少しずつ(スモールステップ)、確実に痛みに届くように、段階的に(825段階)ご提供をさせて頂き、さらに福祉の制度に乗せて、多くの方に安価に届けられるような仕組みにしました。
セラピーが福祉の文脈に入ること(セラピーはもっと高尚なものよ、短時間で保護者と一緒じゃないとだめ等条件が付きすぎる)に抵抗感がある現状を打破します。福祉がセラピーを学ぶこと(安全に預かるだけでも大変なのに、もう勉強なんてしていられないわよ)に抵抗感がある怠惰性を打破します。教育の体系が、お子様の今に必要なものを提供できない(100点がダメなら30点でいい、そんな一つの座標軸じゃない)硬直性を打破します。
全てのお子様に良質なセラピーを、たくさん、小さく、確実に。沿う願いを込めて毎日汗を流しております。
内在するヒント、って結構今までも言われてきたことで、お母様からすれば、もう飽き飽きしているものもあるかと思います。てらぴぁぽけっとでは、内在なんだけども、感情を排して行動ベースでお子様のヒントを探します。お気持ちを慮っても、愛着が先だと考えても結局主観的なことなので、当のお子様にとっては「??」というものばかりだからです。
例えば、こんな事例を考えてみましょう。
・落ち着いて座っていられず、あちこっちに逃走してしまう当然お母様としては、悩んでしまい、おちおち外に連れ出せない、私のストレスが溜まるわとこれを福祉の用語に変換すると「問題行動」となるわけで、これを改善しようとなるわけです。そして、原因を突き詰めていきますが、だいたい以下のような原因を考え出します。
・集中力がないのよ
・愛情が足りないのよ
・負けん気が強いからすぐかみつくのよ
一見正しそうに見えますし、もしかしたら正解があるかもしれません。しかしこれを進めていくと
・負けん気が強いから、攻撃したり言葉が汚い
・愛情が足りないから、欠乏を埋めようとして攻撃する
・能力不足だから、何もできない
などという個人攻撃に繋がってしまいます。人間の行動を、その背景にある心理状態や仮説で立てた原因の単なる症候とみると、
・攻撃したり言葉が汚いのは、負けん気が強いから
・愛情の欠乏を埋めようとして他人を攻撃するのは、母親の愛情が足りないから
・何もできないのは、能力不足だから
となってしまい、結局は自分たちが立てた仮説(負けん気が強い等)を自分たちで治療しようとする、ただのマッチポンプなわけです。お子様はそんな大人たちの無責任な言動を、にこにこしたり、走りわまって聞いているだけでやがてそれがお子様自信に治療としてやってくるという、あまりにも暴力的な事態を招くのです。
そうならないために、てらぴぁぽけっとでは、あくまでも行動だけを見てお見立てや計測を行い、行動に介入しながら、お子様の生きづらさを改善していこうと考えております。
お子様に内在するヒントとは、お子様が一生懸命表現して表層に今出ているもの全てであり、余計な感情を入れずにその表層を読み取っていくこと、指導員も一緒になってその表層に体や行動や言動を合わせていくことでわかってくる何かです。
なのでヒントは常に動いているダイナミズムであり、アセスメントやスケールに閉じ込められるものではないと信じて行動しております。
825段階の支援スケールを駆使して、きょうもてらぽけ指導員と児童発達支援管理責任者、及びセラピストがお子様の行動に見られる療育のヒントを探し続けております。
スケールは、あくまでも補助具。お子様を「わかる」ようにするためにスケールを用い、お子様はそのスケールをいとも簡単に「飛び越え」ていくものなので、スケールに固執せず、お子様の今を見つめ関わり続けます。その持続がてらぴぁぽけっとの生命線です。
825項目の基準ステップを基に、お子様の発達に合わせたセラピーを専門の指導員が組み立てます。→お子様に合ったプログラムが可能となります。
基本のプログラムから、お子様に合わせてプログラムの種類や内容、段階を設定し実施していきます。お子様が無理せず、楽しくセラピーすることができるよう、「強化子」と呼ばれるお子様に合わせたご褒美を用いながらできることを増やしていきます。
実際のセラピーでは、あまりお子様の行動を固めず、動きの中でセラピーをつけていきますのでセラピーのバリエーションは無限大になっていきます。
少人数クラスで、その日一緒になる先生がお子様の成長を見守ります。てらぴぁぽけっとが、なぜ2時間近い支援を行うかという理由もここにあります。
まずお子様の身体と脳を起こして、指導員やほかのお子様との波長を合わせていくために、ひたすら歩いていただきます。音楽に合わせて歩くという、一見するとただ単調な動作の中で自然と脳が起き、人と歩調を合わせることができ、適度に疲れて脱力し、先生の話を受容できる体制を整えます。こうしてセラピーを受ける効果を高めて頂きます。
個別セラピーをしても、すぐにお子様が忘れてしまわないように、集団のお部屋に戻ったらそれはただの自由時間ではなくて、お子様が今やったセラピーをみんなの中で出来るかなという確認の時間を設けております。
個別セラピーで、正しいフォームを学んだら、それを他のお子様がいる実践の中でフォームを使えるようになるか、ということ。もし使えたら!指導員たちと大喜びして般化に繋げます。
そうなると、2時間は必要なのです。
多角的なアセスメントからお子様の今を受け止め、将来への見通しを立てていきます。
集団支援
お集りや、ウォーキング、お歌など、就学に向けて絶対に切り離せない集団性をルーチンでこなします。
個別支援
825項目のステップを選択してマンツーマンでお取り組みします。
ホームセラピー
進捗をお母様とも連携し、ご家庭でのお子様の養育にお役立ていただきます。
保育所訪問支援
お子様が通われている保育園に訪問して継続支援も行います。お子様にとってどこに行っても同じ支援が受けられるため安心して学びを積み上げることができます。
以上、お子様の今の力をマッピングして、次にどこに進めばいいかを明確にしてお伝えし(教育)、今いる位置でのつまずきから(療育)共に解消していきます。そして、てらぴぁセラピストは、次に進むべき段階を常に意識して、覚醒と意欲に満ちた楽しい療育を持続できるようにします。
例えば、友達とコミュニケーションがうまく出来ない子どもには、子どもの小集団に複数の指導者が仲介に入り、子ども同士で「楽しく遊べた」といった経験を積み上げます。
所作、動作、言語表出、協調性、ご挨拶、など様々な場面を、少しでも他のお友達とのつながりの場に行って齟齬の無いように計画的に支援をして行きます。
個別支援計画と、セラピストとの打ち合わせ、連絡帳のやり取りにより、課題を見つけて取り組みます。
てらぴぁぽけっとに到着したら、まずお約束。
手を洗って、トイレを済ませ、ご挨拶したら、なっている音楽に沿って先生とぐるぐる輪になって歩いていただきます。だいたい25分から30分は歩いていただきます。
そんなに歩いたら疲れちゃうんじゃない?いえいえ、そんなことありません。
お子様はもっともっと身体を使って活動できるはずなんです。でもその使い方が安定しないのでなかなか集中力が持続しなかったり、刺激に過敏に反応したりします。リズムに沿って、大人と一緒に、みんなと一緒に歩いていくことで呼吸と歩調、協調性に対する平衡感覚を養い、セラピーに入る準備運動の意味も含みます。
さらにセラピーと合わせて行うことには理由があります。
集団という一つの環境を作る事で
『模倣(まねする)』
『指示を聞く』
『皆で遊ぶ』
事へ自然に導くためのきっかけにします。
また、歩くことは体幹を支える筋肉を活性して、姿勢を安定させることを助けます。身体も整って、意識レベルも覚醒して、みんなとの共同注意も整って、さあはじめの会につなぎましょう!あれ?いつの間にかお座りできてるよ!?
発達の順序に従って、保護者様、お子様のご希望やご心配の解消と軽減の為にプログラムを行います。概ね30分から40分程度、個室又は集団室で先生がマンツーマンでお関わりします。
学習の進捗に従って、個別でのプログラム。お家や園でも出来るようになるためのプログラムを段階的に作成し、進めます。基本の流れはありますが、お一人お一人のご希望と発達に合わせたプログラムを作り、ご家族様にもご説明します。
「“欲しいもの”を言葉を使って言えるように。」という希望があったとします。環境設定とマンツーマンの援助で、「…だい。(ちょうだいの語尾)」が言えるようになりました。
他の先生にも言えました。更にお家でも「…だい。」の発語の時は本人が要求している物を出来る範囲で渡してもらえるようになりました。その般化ができたらその後「おーあい」次いで「ちょうだい」と明瞭性を形作っていきます。
お子様の日ごろの様子を確認し、例えば「ジュース、ちょうだい」と欲しいものをより具体的に伝えられるように練習したり、「あけて」や「とって」など違うシチュエーションの際にも要求を出していけるように練習したりしていきます 。
言葉で便利に要求を伝えられたという経験を得られたことで、今後も言葉で要求を伝えることが増えていきます。そのような成功体験を様々な場面で確実に積み上げてまいります。
プログラム内容によって、変わります。ご家庭での変化のポイントをお伝えして、実際にご様子が変わった所を見て頂く事もあります。基本的にはプログラムごとにデータシートを取っていますので、その説明をいたします。